三相誘導電動機

つぶやき

深夜二時、神田の雑居ビルにある小さな貿易商社「東西マシナリー」のオフィスで、高橋は頭を抱えていた。

デスクの上に並ぶのは、東南アジアの取引先から届いた大量のエクセルシートと、分厚い英語と中文の規制文書だ。

「……また中国のGB規格更新か。CCC認証の申請書類、現地工場の査察費用だけで何百万飛ばす気だ?」

東西マシナリーは、日本の高精度な三相誘導モータをアジア諸国の工場へ輸出・仲介する中堅商社だ。かつては「高品質で壊れない日本のモータ」を持っていけば、どこでも飛ぶように売れた。しかし、ここ十数年で世界のゲームのルールは一変していた。

1992年にアメリカが「EPAct(エネルギー政策法)」で高効率モータ(MEPS)の規制を法制化して以来、世界中で「省エネ」を大義名分にした高効率化の波が押し寄せた。世界の産業電力の6割以上を消費するモータの効率を数%上げる——名目は完璧な「地球環境保護」だ。

しかし、現場にいる高橋には、それが綺麗な言葉だけではないことを痛いほど知っていた。

「高橋さん、タイの合弁工場から悲鳴が上がってます」 後輩の小林が、青ざめた顔で報告に駆け寄ってきた。「インドのBIS認証がまたストップしました。現地の試験所が混み合っているからと、半年以上書類が放置されています。このままだと現地のラインが止まります」

「インドの『Make in India』か……」高橋は苦々しく吐き捨てた。

環境保護の看板の裏で進行しているのは、露骨な「非関税障壁」の張り巡らせ合いだった。

中国は独自規格(GB18613)と「中国能效标识(エネルギー効率ラベル)」の事前登録を義務付け、外国企業に膨大な審査時間とコストを強いる。インドはBIS認証で輸入を遮断し、ブラジルはINMETRO認証で参入を阻む。アメリカはNEMA規格という独自の城壁で守り、欧州はエコデザイン指令でIE4という最高レベルの基準を世界に先駆けて義務化する。

「環境を守る」という名目のもと、各国は自国の巨大モータメーカーを守るために、目に見えない完璧な関税障壁を作り上げていたのだ。安価な低効率モータを売っていた途上国のローカル企業は次々と倒れ、技術力と巨大な資金力を持つ欧米や日本のグローバル大手——Siemens、ABB、あるいは日本の大手電機メーカー——だけが、高単価な「IE3」「IE4」モータで市場の利益を独占していく。

「大手はいいよな……高い開発費を払っても、高効率モータで単価も粗利も上がってウハウハだ。高級な電磁鋼板を作る製鉄会社も、一緒に制御インバータを売るメーカーも大儲けだ」小林が缶コーヒーを飲みながら不満を漏らす。

「まあ、そう言うな」高橋は壁に貼られた世界地図を見上げた。「実際にモータを使う工場側にしてみりゃ、電気代は一生涯で本体価格の9割以上を占める。本体が倍の値段になっても、電気代で2年で元が取れるんだ。損をしてるのは、規制の網を潜り抜けられない俺たちみたいな中小の貿易屋と、認証費用を払えない零細メーカーだけさ」

誰かが得をして、誰かが淘汰される。高効率モータ規制は、環境保護という正義の仮面を被った、巨大な経済戦争だった。

「小林、嘆いてる暇はないぞ。サウジアラビアのSABER登録と、オーストラリアのGEMSデータベースへの事前登録を終わらせるぞ。通関で差し押さえられたらそれこそ終わりだ」

「はい! ……でも先輩、これ終わったら飲み奢ってくださいよ」

「ああ、IE4並みの最高効率で書類を片付けたらな」

二人は苦笑し合い、深夜のオフィスで再びキーボードを叩き始めた。世界中で張り巡らされた「見えない壁」を突破し、製品を届けるために。

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